寺内 大登選手インタビュー【選手としても広報としてもNAGAREYAMA F.C.に貢献したい】
今回は、2024シーズンで10番を背負うことになった寺内 大登選手にインタビューを行いました!
クラブの広報として、いろいろな場面で率先してクラブの先頭に立つ現役のサッカー選手でありながら、動画クリエイターであり、アパレルのモデルでもありと、様々な顔を持つ寺内選手。
そんな彼のことはサポーターのみなさんならよく知っていると思います。
そこで今回は、普段見えないダイト選手の素顔や、海外でのサッカー生活、そこでの成長の過程などを伺いました。
そして今シーズン「背番号10」を担うことへの思いや千葉県1部リーグへの意気込みについても答えていただきました。
「やんちゃ」な少年時代
今日はお忙しいなか、ありがとうございます!よろしくお願いします。
よろしくお願いします!
クラブのプロフィールを見たら「ヤンチャ」って書いてあったけど、どんな性格だった?
どのへんまで喋っていいんですか?w
度を超えるような内容は編集させてもらいますw
怪我が多かったんです。
学校の校門の上で遊んでたら、落ちたんです。その後、門の下敷きになっちゃって。
でも怪我ひとつなかったんです。ケロッとしてたみたいです。
さっそく危なすぎる・・・!
他には、近所の犬に餌をあげようとして近づいて、犬の足を踏んだら噛まれました。
公園で遊んでたら、滑り台の上から石が落ちてきたこともあります。
なんでそうなる?
鬼ごっこか何かで遊んでいて、すべり台の下に隠れてて、そこから外に出る瞬間にでっかい石が落っこちてきたんです。
すべり台の上で石を溜めてた人がいたみたいで。
運が悪いとしか言えないね・・・
子どもらしいといえば子どもらしいかな。
自転車を漕ぎまくってブレーキきかないくらい漕いでたらドーンって突っ込んで、救急車が呼ばれたこともあります。
後で親に叱られましたね。怪我ばっかりでしたw
人に恵まれたサッカー人生
ダイトくんらしいと言えば、らしいエピソードだねw
そんなダイトくんが、サッカーを始めたのはいつ頃?
保育園の時からやってましたけど、クラブチームに入ったのは小2の時ですね。
きっかけは?
当時の日本代表の試合がきっかけですね。
大宮アルディージャの氏家さんとご縁があって、アルディージャの試合でユニフォームをもらったりしたんですよね。
そのつながりでクラブチームを紹介してもらいました。
運が良かったね。
昔から、人に恵まれてるなと思いますね。
海外に行ったのは?
21歳ですね。
大学3年まで日本でやってて、4年生に上がる前に大学リーグで降格しちゃって、監督にもあまり気に入ってもらえてなかったんです。
試合にも出られなくて「そもそも何のためにサッカーやってるんだっけ?」って思って。
挫折?
挫折という概念はなくて、自分の環境を見直して、振り返ってみた時期でした。
なんか挫折ってネガティブな感じに聞こえるので、そういう捉え方はしてないです!
一旦立ち止まって振り返ったときに「プロになるんだった」って思ったんです。
たまたま海外につなげてくれるエージェントが近くにいたので、セレクションを受けて、2週間後には海外に行っていました。
行動力がすごい!
そこからはトントン拍子でしたね。
1年休学したんですけど、先生にも相談したら、了承してもらえて。
人に恵まれたんだね。
そうですね。先生からは「今まで君みたいな生徒いなかったよ」って言ってもらえたんです。
ゼミの先生がサッカー部の部長だったんですけど、その人がたぶんいろいろと動いてくれたみたいで。
1年間休学して復学したんですけど、ゼミの先生が「半年に一回帰ってくればいいよ。通信制で良いよ」って言ってくれたんです。
海外に行っても半年に一回帰国して授業を受けて、海外に行ってまた年末に帰って卒論を出して、卒業前にまた海外に行って、みたいな生活をしていました。
当時のインタビューの記事が残ってます。
https://www.surugadai.ac.jp/sports/news/2019/post-267.html
その後に海外に行ったんだよね。
ドイツのケルンに行きました。
でもその前に嬉しかったことがあるんです。
先生とかサッカー部、ゼミの生徒みんなから支援金を出してもらったんです。「みんなが応援してくれてるんだよ」って言ってくれて。
年末に高校の集まりで友達が同級生に声をかけてくれたみたいで、そこからもお金を出してもらえました。
すごい話だな。なかなかそういう経験はできないよね。
みんなの支えには助けられましたね。
ダイト君が海外の夢を自分から発信してたから、周りも応援してくれてたのかな。
海外でやりたいっていう想いが伝わったのかもしれないですね。
そこからは、どんなサッカー生活でした?
一応ドイツ語は大学で受講してたんですけど、自分がドイツに行くなんて最初は思ってなくて、真面目に勉強してなかったんですwサッカーだけやってれば良いと思ってたんですよね。
ドイツでサッカーを始めた頃はパスももらえないし文句も言われたし、試合にも出られなくてもどかしかったです。
カルチャーショックというか、通用しなかったんですよ。
それで、だんだん文句言いたくなってきたから猛勉強しましたね。1日8時間勉強してました。練習して帰ってからも勉強しましたし。
半年で聞き取れるようになって、言いたいことが言えるようになったら楽しくなってきましたね。
1年で言いたいことを言えるようになったら、周りも変わりました。
必要に迫られて覚えていった?
そうですね。
それからは、試合でうまくいったら次の試合に出られるようになっていきました。
リーグ1位のチームとの試合に出ることになって、僕が得点したらそれが決勝点になったんです。
そのことが地元の新聞に載って、信頼につながりましたね。
そこからは自分で契約の話もするようになって。
その時の体験はターニングポイント?
もともとコミュニケーションが下手だったんですよ。
仲の良い友だちとしかしゃべらない性格で。
でも、自分でなにか行動しないといけない環境だったから、日本に帰ってきたら周りから「めっちゃ変わったな」って驚かれましたね。
サッカーが原動力になって変わったんだね。
そういう環境にいたからかもしれないですね。
海外に行って、お金もなかったんです。カツカツで過ごしながらやりくりしていました。
1試合出ると50ユーロもらえたので「試合に出るしかない」っていうハングリー精神がありましたね。
「背番号10」への思いと、1部リーグへの意気込み
2024シーズンは10番を背負うことになったけど、どんな感覚?
僕のなかでは「エース」のイメージですけど。
あまり背負ってる感覚はないですね。ただの数字かなって。
22番の方が思い入れが強いですね。ドイツにいた時が22番だったので。
なるほど。じゃあ特に気負うようなこともない?
10番だとアピールがしやすいっていう印象ですね。
僕のなかで、いろんな10番が合ってもいいかなって思っています。世間一般の10番である必要はないなと。
NAGAREYAMA F.C.はピッチ内外でいろんな活動をしているから、どんな場面でも引っ張る存在でありたいなって思います。
さすが、ダイトくんらしい考え方だね!
千葉県1部リーグに向けて何か変化はある?
千葉教員サッカークラブと戦って(天皇杯千葉県予選3回戦で0-0のままPK戦で勝利)監督からも「ああいう相手に圧倒して勝たないといけない」って言われて。
1部に突入するに当たっては、週3回の練習でどこまで意識してやるかが鍵になると思いますね。
日々の練習の意識が出ます。
そういう意味で、(千葉教員サッカークラブとの試合は)良い刺激になったと思います。
厳しい試合でいかに勝つかが大事ということ?
ああいう場面で勝てることが大事です。
(そういう経験をしてから)練習で発する言葉も厳しくなってるんですよ。選手同士でも監督からも。
怪我させちゃダメですけど、それくらいの気持ちを持っていかないと。
ふっとばされてたらダメで、日々の練習から、体が悲鳴を上げるくらいやらなきゃだめだなと思っています。
意識の面で変化は?
監督ももちろん、安芸さん(代表)も選手みんなも、意識が違っていると思いますよ。
江戸川大学で練習ができるようになっていますし、強いチームと戦える環境も整いつつあります。
賛同してくれてることはありがたいね。
ダイトくんといえば、仕事をいろいろとやりながら選手もやっていて、大変じゃない?
ありがたいことに職場の理解があって、本当に良い環境だなと感じていますね。
だから将来、NAGAREYAMA F.C.に貢献しなきゃって思いがあります。
「ダイトのおかげでNAGAREYAMA F.C.がある」って言ってもらえるようにがんばっていきます。
選手としても、広報としても。
頼もしい!
でも休みがなさそうだよね。
イベントに出たりして休みがないですね。
でもそれくらいやらないとって思っています。
クラブにも会社にもパートナー企業にも、本当に良くしてもらっているし、流山にはすごい人がいっぱいいるし、サッカー選手でもいろいろできるってことを、伝えていきたいなって思います。
今後の活躍に期待しています!今日はありがとうございました!
ありがとうございました!
選手のプロフィール
寺内 大登選手のプロフィールはこちら
(クラブのオフィシャルサイトに移動します)