中川瑠也コーチの秘められた素顔に迫る
中川瑠也コーチといえば、NAGAREYAMA F.C.の初代監督であり、千葉県社会人サッカーリーグ3部で見事に全勝優勝へと導いた立役者です。
そんな中川氏が2年目となる2023シーズンでは監督を退き、コーチとしてクラブに関わることになりましたね。
クラブとしてまさに“ゼロ”の状態から全勝優勝を果たすまでの初代監督としての道のりには、相当な苦労やプレッシャーがあったのだろうなと考えると、ファンとしても個人としても、ずっと話を聞いてみたかった方です。
N-LinkSの記念すべき第一弾は、そんな中川コーチにインタビュー。
個人的には、2年目でコーチになろうと考えた背景も、ずっと気になっていました。
もちろん、普段はなかなか知ることのできないプライベートな姿にも迫っています。
イタリアでフットサル選手を経験し、指導者への道を志した理由、サッカーの戦略を重視する考え方は、これから指導者を目指す方の参考にもなるのではないでしょうか。
常に冷静沈着なイメージ通りの性格と、実は心配性でネガティブだというキャラクターとは裏腹に、深く掘れば掘るほど面白い話が湧いて出てくる、2時間では足りないほど楽しいインタビューでした。
ぜひ最後までお読みいただければ嬉しいです。
プロカテゴリーの監督になるための決断【1年目を振り返って】
初代監督から2年目にコーチを選んだのは、チームと自分の夢、成長を考えたから
最近はすごくお忙しそうですね。お仕事は大変ですか?
かなり忙しいですね。スポーツ選手が着るベストにGPSを付けて、動きをデータにして分析するサービスを提供する会社に勤めています。今年の2月に入社したばかりで、今は仕事のことでいっぱいです(笑)。なのでチームの練習にもほとんど顔を出せていない状態ですね。
ファーストシーズンで華々しい結果を収めて、2年目にコーチになられたのは驚きました。
もともと自分の人生の到達点は「プロカテゴリーの監督になること」でした。将来、またNAGAREYAMA F.C.に(監督として)戻ってきたいので、それまでに監督としての個人的な能力を高める必要がある。プロの監督として戻ってこれるようにと考えています。
コーチになりたいということは、自分から伝えました。チームからは「2年目も監督をやってほしい」とオファーは頂いていたんですけど。
2部に昇格して公式戦も増えてくるなかで、より選手たちにストレスのかかる環境になってきて、チーム状況も難しくなっていくなかで勝たなくちゃいけない。そうなったときに今の自分の能力では足りないし、自分が成長していこうとすると、余裕がないなと。目先の勝ちだけに集中しなくちゃいけなくなると思ったんですよ。
なるほど。それで2年目はコーチになると決断したんですね。
監督っていう立場で、チームを私物化したくないというのは初年度から考えていました。自分の成長のために選手にやってもらう感覚は、自分の中で違うなと。選手からは「監督の好きなように、自由にやってほしい」という感じはしていたんです。でもそれは自分のプライドが許さないというか。
そういう監督も世界にたくさんいらっしゃいます。例えば僕の好きな監督で、イタリアのアントニオ・コンテ監督は自分の思い通りにいかないとめちゃめちゃ怒ったりフロントと対立したり、自分の理想としない選手はすぐに切って、という監督がいます。実際に強いんです。
日本の部活動も近いのかなと。監督や先生が「こうしろああしろ」という日本らしい文化は、僕にはどうしても納得いかなくて。選手全員がしたいことを上手にまとめられるようなレベルになりたいと思っていました。
ファーストシーズンの監督として考えていたこと
イタリアでの経験は、その考え方に影響しているんですか?
もともとそういう気質でしたね。今のイタリア代表監督のロベルト・マンチーニ監督は、どちらかと言うと僕の考え方に近いんです。選手のプレースタイルを重視するタイプ。
コンディションの良い選手を自分の中で当てはめていくんです。「この選手はこういう特徴を持っているから、この選手と距離が近ければ、こんな効果が生まれるんじゃないか」というように。
1年目、選手は「やりたいことやっていいよ」のスタンスだったんですけど、僕は「みんなのプレースタイルに合わせた戦術を確立していきたい」という考え方をしていました。
1年目はそういう意味でもやっぱり、かなり難しかったですか?
そうですね。そういう要望(監督がやりたいことを選手に要求すること)も出ていたので、それは聞きながらある程度の基準は作る努力はしていました。もちろん僕のなかでのやりたいサッカーは明確にあるんですけど、NAGAREYAMA F.C.は去年、始動したばっかりなので、知名度を上げていくためには、どの試合も絶対に勝たなきゃいけないなかったんですよね。
でも戦術を確立するには、負けた時とか壁に当たった時に、選手からの「ここもっとこうしてほしい」っていうリクエストに応えながら徐々に完成度が上がっていくものだと思うんですよ。でもチームとしては勝たなきゃいけない。どんなに苦しい試合でも。なので、自分のやりたい戦術をチームに当てはめるのは、かなり難しかったですね。
どのチームでも、チームの方針が一番優先度の高いことなんです。監督としてはまずその要求に応えなきゃいけない。「チームの勝利」「監督としてやりたいこと」「選手の想い」がある中で、負けてる暇がないみたいな感じでしたね。
邦楽ロックと漫画、心配性な性格が今の自分を作っている
邦楽ロックが特に好き
クラブの公式サイトのプロフィールに「ロックが趣味」とありましたね
一番好きなロックバンドは、UNISON SQUARE GARDEN(ユニゾンスクエアガーデン)です。日本のロックバンドが大好きですね。アジアンカンフージェネレーションとか。
ブルーロック(サッカーのアニメ)の1クール目のオープニングと、2クール目のオープニングはUNISON SQUARE GARDENの曲なんです。自分の好きなサッカーとロックバンドがタッグを組むとは思わなくて、めっちゃ嬉しかったです。
自分の好きなことが同時に楽しめるのは嬉しいですよね。ブルーロックはどんなところが好きなんですか?
ブルーロックは「エゴを出して世界一のストライカーを目指す」みたいなテーマなんです。サッカーには「サッカーはカオスであり、フラクタルである」という言葉があって「サッカーは一見ごちゃごちゃしているけど、きちんと整理されている」っていう意味なんですけど、ブルーロックの「エゴを出していく」というテーマが、サッカーのカオスな一面と一致しているんですよね。それで1クール目のオープニングが「カオスが極まる」というタイトルなんです。
UNISON SQUARE GARDENは普段、曲名や歌詞の思いについてあまり明言しないんですけど、サッカーを極めようとしている僕だからこそ解読できたメッセージなのかなと(笑)
洋楽だと理解できないところがあるけど、日本語だからわかりやすいし、日本らしい音楽性とか言葉選びが、日本のロックバンドが好きな理由です。
キャプテン翼の葵新伍に影響を受けて、憧れていたイタリアへ
漫画も好きなんですね。王道のキャプテン翼も好きですか?
実は、キャプテン翼の「葵新伍」というキャラクターに影響を受けてイタリアに行ったんです。葵新伍は翼くんの1個下の学年で、スーパースター扱いされている翼くんのチームに試合でボコボコにされるんです。チームのメンバーは「スーパースターと試合ができて最高だった」って言っているんですけど、葵新伍だけは「なんでこんなにボロボロに負けてるのに、笑ってるんだ」と奮起して単身、イタリアに乗り込んでいくんです。それで将来、翼くんと同じ日本代表で活躍する。そのストーリーがガツンときましたね。自分もエリートじゃなかったので。
それで本当にイタリアに行ったのはすごいですね!
専門学校1年の時に「俺、何やってんだろ?」って思うことがあって、葵新伍というキャラクターと出会って影響を受けたんです。それで1年生が終わった後に1年休学してイタリアに行きました。本当はずっとイタリアにいる予定だったんですけど、親から「専門学校は卒業してくれ」って言われて日本に戻ってきました。
またイタリアに行こうとしたときにコロナの流行が始まってしまって、結局イタリアには戻れませんでした。結局あれから3年が経って23歳になって、指導者になるための道に進むことにしました。もともと指導者になるためにプロサッカー選手になりたかったこともあって。
心配性で分析が好きな性格は、今の仕事にも生きている
自分でプレーするよりも、指導者になりたかったのはなぜですか?
僕はうまい選手ではなかったので、強いチームを倒すために考えてプレーしていました。僕みたいに能力が低い選手でも、そこを突き詰めれば輝ける人はたくさんいると思うんです。そうやっているうちに戦術の理解も深まっていって「強いチームを作ろう」という方向になっていきました。
考えることが得意だったんですか?
考えすぎるというか、めちゃくちゃ心配性な性格だったんです。ネガティブで「失敗するかも」とばっかり考えて「じゃあ失敗しないように選択しよう」という感じでした。ネガティブな思考がよくないことはわかっているので、今はポジティブに振る舞っているところはあります。
監督としては、そういう姿は見せていたんですか?
気づいている人はいたと思います(笑)。自分の中では自信ありげに振る舞っていたんですけど、実際にできていたかわからないですね。そこも含めて成長していく必要があるなって考えていました。自信を持つ、不安を隠すっていうスキルを身につけたいなと。そういう意味でも一旦サッカーから離れ、会社に勤めることにしました。
仕事は営業ですよね。そういう性格だとちょっと心配じゃなかったですか?
今の会社に入社してまだ2ヶ月も経っていないですけど、営業として商談で回っています。心配性だけど、その辺は大丈夫なんですよね。
あるサッカーチームの試合を見たときに、僕なりの分析結果をそのチームの監督に伝えたら気に入ってもらえて。そこが今の仕事がうまくいっている理由の一つかもしれないですね。戦略を意識した考え方が強みになっていて、今の仕事にも生きているのかなと。
「挫折と感じたことはない」中川コーチを支える考え方
1年目が大変だったからこそ、自分の夢やチームへの向き合い方が分かってきた
これまでの人生で最も大変だったこと、挫折したことはありますか?
NAGAREYAMA F.C.での監督の時が一番苦しかったかもしれないですね(笑)。負けることに対してはマイナスなイメージがなくて「挫折」という感覚がないんです。落ち込むことは基本ないですね。どっちかというとネチっこいです。負けたという事実に対して、ずっと考えています。
NAGAREYAMA F.C.で、例えば「選手の要望に応えられなかった」という時に、情報量とか考える量があまりにも多かったので、挫折というよりは苦労していたのが正直なところです。「選手の想い」「自分の想い」「クラブの勝利」の3つ全部を背負うのは大変でしたね。
1年目はそういう思いをずっと抱えていたんですね
そうですね。完璧主義なので些細なズレが気になるんですけど、見逃さないとやっていけないなという考えで進んでいました。不満なところも無視して進んでいかなくちゃいけない。そういう中で納得できずに無理くり進んでいたので、きつかったですね。
今はそういう環境から少し離れているわけですが、どんな心境ですか?
NAGAREYAMA F.C.と向き合える余裕ができました。外の世界をたくさん見て、チームメイトに向き合った時に、瞬間でぱっと閃く引き出しを増やしたかったんです。将来、プロの監督としてNAGAREYAMA F.C.に戻るために。本当は早くチームに戻りたいです(笑)。
ロベルト・バッジオのプレーを見てから自分が変わった
さっき「自分はサッカーはうまくない」とおっしゃっていましたが、上達したきっかけはありますか?
小学生の時は不真面目でした(笑)。サッカーへの熱が上がったのは中3の時なんです。中学生の時は普通にベンチでした。でも「ベンチにいるのカッコ悪いな」と思って、もともとイタリアが好きだったこともあって、イタリアのサッカーの勉強を始めたんです。そこで知ったのがロベルト・バッジオでした。
戦術の中で他の選手はプレーしているのに、バッジオだけは異質でした。自分のやりたいサッカー、美学を貫き通して結果を出していて、それがカッコいいなと。それも監督になりたいという思いに影響しているかもしれないですね。そこからどんどん上達していって、メンタルも強くなっていきました。パスミスして相手に取られると、それまではチームメイトから何か言われるのが嫌だったんですけど、バッジオのプレーを見てからは、どうでもよくなりましたね(笑)。そこからは「ミスをするイメージ」が浮かばなくなりました。
ミスするイメージがなくなるって、大きな変化ですね。
それまでは「失敗するかも」とイメージする→失敗する→チームメイトに叱責される、っていう流れだったんですけど、それからは、叱責されない→プレーでミスしない→成功するという流れができてきました。中3の時にそれが確立されましたね。そこからサッカーの分析も好きになっていきました。上手い人のプレーを見て自分に取り込んで、次の上手い人へ、というのが楽しくなっていきましたね。底辺から上がって行ったことも「挫折がない」っていう理由の一つかもしれないです。
「地味な3点のゴールより、美しい1点を獲りたい」っていうバッジオの言葉があるんですけど、チームとしては絶対ダメじゃないですか。でも美学を追求して良いんだって気づきました。
94年のワールドカップの時、バッジョは怪我の影響でコンディションが悪いなかでも出場して決勝点を決めて、勝ち続けていくんです。
決勝のPKは、バッジオが外してイタリアは負けたんですけど、誰も責めなかったらしいんです。バッジオのおかげで決勝に来れたということで。そこからも「失敗のイメージを持たない」という考え方につながっていますね。
「プロの指導者になることが人生の目標です」
今日はありがとうございました。楽しかったです!もっとお話を聞きたかったので、またお時間がある時にお酒でも飲みながらお願いします(笑)
こちらこそありがとうございました。僕も凄く楽しかったです!記事の出来上がり楽しみにしております。ワインが大好きなので、ぜひ行きましょう!
最後に、今後の目標をお聞かせください!
たくさんの人の考え方を知ることですね。
今までも人から得た知識はたくさんありますが、基本的には自分で体験・分析したことをもとに武器を増やしてきました。
このスタンスは継続しつつ、自分だけでは獲得出来ない経験を取得するための行動を積極的に行う。
この意識を持つことで、より多くの考え方や環境に順応出来ると思います。
自分の目指す指導者のあり方を極めて、プロとして指導現場に戻ることが目標です!